故郷・福島に捧げる詩『詩の樹の下で』 長田 弘/著〜王様のブランチ

2011年12月17日の王様のブランチで紹介された、故郷・福島に捧げる詩『詩の樹の下で』 長田 弘/著 です。『FUKUSIMA REQUIEM(福島レクイエム)』本の帯にあるように福島と共に生きることを見つめた1冊です。

日本を代表する詩人の1人、長田弘さん。
1984年に発表された詩集『深呼吸の必要』は、今なお愛されるロングセラーです。

「きみはいつ おとなになったのだろう」
「子供じゃないけれども、きみだって、もとは1人の子どもだったのだ。」

小さな気づきこそ大切と優しく語りかけます。
2004年にはこの詩集をモチーフにした映画『深呼吸の必要』が公開され話題に。
司会者の谷原章介さんも出演されました。

長田弘さんの最新作品『詩の樹の下で』

福島市出身 詩人『長田弘』(72)現在は東京にお住まいで、山々の美しい福島市生まれ。
『詩の樹の下で』は、天に向かい枝や葉を広げる木を見て、浮かんだ思いを言葉にしています。

『木は見あげるのが一番。遠くから眺めるより、見上げると自分が小さく思える。人間って小さな存在なんたと思い、悩みで苦しめられたり、うじうじしたりしているものが、いつの間にか「どこへ行ったんだろう」って。木の下に来て見上げると考え方も変わってきます。』

『顔を上げるために樹を見る』と語る長田さん。

『詩の樹の下で』をまとめたきっかけは?

『今年になって病気をしたことと、手術をした日が大震災と重なり、自分が生まれ育った土地(福島)で起きた大震災だったことで、(自分は)「生きている」のではなく「生かされている」。何によって生かされているのかということを考えるようになった。それは、自分が「風景」によっていかされているんだなと思うんです。』

『例えば「山」といっても「川」といっても「木」といっても、それぞれ自分の育ったところの「山」を「山」だと考える。福島の場合だったら山は全部連峰なんです。ところが、富士山の方で生きた人は独立した山なんです。いろんな言葉のひとつひとつさえも故郷の影響を受けたんだな。その故郷の風景がなくなったとしたら、その「記憶を書き留める」事ができるんじゃないかと思ったんですね。』

記憶をたどればそこにはふる里の風景があります。しかし震災によってその風景を失ってしまいました。長田さんは書き留めた詩の中に風景を残そうとしたのです。

「洞のある木」
「洞のある木を、いまは見なくなった。
 洞のなかは  遠い時間の乾いた匂いがした。
 そこにいると、とても親しい何者かに
 そのままじっと抱かれているような感覚をおぼえてた。」

かつて見た風景と、そこにいて味わった感覚が言葉の中によみがえります。亡くなった方々の思い出も・・・。

「祈りにくわわる言葉を伝えられたら」とおっしゃる長田さん。

「懐かしい死者の木」
「死の知らせは、ふしぎな働きをする。
 それは悲しみでなく、むしろ、その人についての、忘れていた、
 わずかな些細な印象をあざやかに生き返らせる。
 懐かしい誰彼の死を知ったら、街のそこここにある
 好きな大きな木の、1本を選んで、木に死者の名をつける。
 ときどき、その木の前で立ちどまる。
 そして、考える。
 あくせく一生をかけて、人は1本の木におよばない時間しか生きないのだと。」

『「死」は悲しい報せには違いないけれど、しばらく経ってみると「死」は悲しいものではなくて、その人が自分に残していった「いい思い出」なんだと思う。ふと笑った時の顔とか、触れ合ったあったかさとか、あるいは一緒に道を歩いた時の感覚とか、瞬間の思い出がすごくかけがえのないものになって、蘇ってくるということがありますね。』

『思い出は大事なもの。何も思い出さないのはとても辛いことだと思います。何の手がかりもない人は、1本の木に名前をつけると、それが手がかりとなると思う。』

『詩の樹の下で』の魅力は?

長田さんは詩集『詩の樹の下で』で、「木に人生を重ねて」生きるということを考えます。

「あくせく一生をかけて、人は1本の木におよばない時間しか生きないのだと」

大きな出来事が起きると目の前の感情に揺り動かされがちです。ゆっくり木と向き合うことで「長い時間と向き合う」。それは難しいことだけど、とても大事なことと気付かされる。だからこそ深い思いが伝わってきます。